蟷螂山とうろうやまについて

蟷螂山の歩み

蟷螂山は、「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事に由来をもちます。その起源は、南北朝時代の当町在住の公卿 四條隆資しじょうたかすけの戦いぶりが「蟷螂の斧」のようであったことから、渡来人で同じく当町居住の陳外郎大年宗奇が、永和2年(1376)に四條家の御所車にその蟷螂かまきりを乗せて巡行したのが始まりと云われています。幕末の大火以降、長らく休み山となっていましたが、昭和56年(1981)に117年ぶりの再興を果たしました。

先代かまきり
現在のかまきり

特徴

祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されており、かまきりと御所車の車輪が動きます。また、懸装品かけそうひん前懸まえかけ胴懸どうかけ見送みおくり等)は羽田登喜男はたときお 作による友禅で、一式を揃えられています。

蟷螂山 全体像
前懸「瑞祥鶴浴之図ずいしょうかくよくのず」・胴懸「瑞苑孔雀之図ずいえんくじゃくのず

所在地

〒604-8225 京都市中京区 西洞院にしのとういん通 錦小路下る 蟷螂山町 464番地 1
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